人吉城跡
史跡データ
| 名 称 | 人吉城跡(国指定史跡) 平安~明治 指定面積216,000㎡ |
|---|---|
| 指定年月日 | 1961年9月2日、2003年8月27日追加指定 |
| 所在地 | 熊本県人吉市麓町・上原町・冨尾町 |
| 修理記録 | 管理団体名:人吉市(昭57年6月15日) |
| 調査報告書 | 『人吉市文化財調査報告書26:史跡人吉城跡』2008 『人吉市文化財調査報告書 24:史跡人吉城跡』2006 『人吉市文化財調査報告書23:史跡人吉城跡』2005 『人吉市文化財調査報告書19:史跡人吉城跡』1999 『人吉市文化財調査報告書18:史跡人吉城跡』1998 『史跡人吉城跡』1990 『史跡人吉城跡』1989 『史跡人吉城跡』1988 『史跡人吉城跡』1986 『人吉城跡塩蔵跡周辺発掘調査報告書』1977 |
大手門櫓跡(説明・古絵図)
日本遺産『人吉城跡』説明より
人吉城の築城は1198年相良家初代・相良長頼が鎌倉幕府の源頼朝の命令で人吉に入った頃には、城には平頼盛の代官・矢瀬主馬佑がいたと言われています。長頼は矢瀬を滅ぼし城に入り、1199年より城の修繕・改築を始めます。その時に三日月文様の入った石が出土したことから、人吉城を三日月城や繊月城と呼ぶようになったと伝わります。ただし、人吉城の名前が、古文書で初めて確認されたのは1470年。それ以前の情報は正確には分かっていませんが、過去の発掘調査の結果では、1400~1500年代の出土品が確認されていることから、整備・拡張されたのは11代・相良長続の頃と推察されています。人吉城は中世の時代は自然地形を重視した山城で、1598年から工事が始まり石垣造りの近世城郭へ改修が行われています。
残念ながら、地震や洪水などの幾度もの天災が城を襲い、崩落・修復を繰り返したと記録に残っています。さらに、1871年の廃藩置県をきっかけに、1872〜1875年まで場内の建物や立木は払い下げられ、石垣のみを残す形に。そのため、角櫓・長塀・多門櫓・堀合門は、絵図・文献・写真などの資料、さらに発掘調査の成果をもとに忠実に復元したものです。
国史跡に選ばれた人吉城跡に残る石垣は、さすが広大な史跡というだけあり見所が多いのが特徴です。代表する「御下門跡」は、登城する際に最初に通る門で、秋には鮮やかな紅葉と石垣のコントラストが美しい絶景を魅せてくれます。さらに、上流から運ばれてくる物資の搬入に使われていた「水ノ手門跡」は、まさに「川の城」らしさを残しています。その周辺には「間米 蔵跡」「塩蔵」などの蔵があったことも江戸時代の絵図からわかります。石垣上端に「はね出し」と呼ばれる突出部をもつ「はね出しの石垣」も見どころです。
大手門櫓跡と復元(ふくげん)多門櫓(たもんやぐら)・長塀(ながべい)
多聞櫓は城郭の石垣上などに建てられた細長い平屋から三層の長屋状の櫓で、防御・物見・通路・倉庫などを兼ねる重要な防御施設です。長塀は当初板塀(いたべい)でしたが、火災対策のため土塀(どべい)に作り替えらました。
手前は胸川(むねがわ)です
人吉城跡隅櫓(古写真・説明)
現在の人吉城跡隅櫓
平成元年(1989)に復元(現存していた建物を史料を基に新築)されました
球磨川沿い水の手橋(城跡北側)より西側の石垣
2020年7月の豪雨では球磨川が氾濫しこの石垣を越えて、城内が浸水しました。
水の手門跡説明・古絵図
水の手門跡
豪雨災害はなかったのでしょうか、門脇(もんわき)の急勾配の石垣がきれいに残っています。
球磨川沿い水の手橋(城跡北側)より東側の石垣
緑色のシートを被せたところは石垣の修理が行われています。東隅は被害がななかったのでしょうか、綺麗な曲線を見せています。
写真下は球磨川下りの船で、屋形船やこたつ船があります。発船場の近くで、このあたりは地元高校ボート部の部活に使われています。
武者返し(むしゃがえし)説明
武者返し
龍岡城五稜郭(たつおかじょうごりょうかく)の武者返し
長野県佐久市にある龍岡城五稜郭は、江戸時代末期に田野口藩主の松平乗謨が元治元年(1864)に田野口藩新陣屋として着工し、慶応3年(1867)に竣工しました。
この稜堡を持つ星形城郭はフランスのヴォーバン元帥がその設計法を確立させました。各稜堡に砲台を設置し、十字砲火をもって攻防することを目的としています。しかし、龍岡城には西側の稜堡にしか砲台が設置されず、また堀も西側と南西側は作られず、未完成でした。
明治4年(1871)の廃藩により龍岡城は取り壊しになりましたが、堀と土塁、建物の一部「お台所」が城内に残されており、昭和9年(1934)5月1日に国史跡に指定されました。
御下門跡(おしたもんあと)説明
御下門跡
石垣隅は算木積み(さんぎづみ、城郭などの石垣の隅角部で、細長い直方体の石を長辺と短辺が互い違いになるよう交互に積み上げ、隅を一体化させて強度を高める石積み技法)、平の部分は打込接ぎ(うちこみはぎ、粗く割った石を必要最小限に加工し、隙間が少なくなるように石垣として積み上げる日本の伝統的な石垣工法。野面積みより精度が高く、切込接ぎより加工量が少ない中間的な工法として城郭石垣などに多用された。)です。
御館入口(みたちいりぐち)説明
御館入口跡
江戸時代に作られた石橋が残っています。
中の御門(なかのごもん)跡
三之丸から二之丸に入る門です。御下門跡石垣同様に前面の勾配はかなり急です。
三之丸(さんのまる)石垣
石垣前面の勾配が緩やかです。
二之丸(にのまる)石垣
三之丸の石垣よりは前面の勾配が急です。
本丸(ほんまる)跡説明
本丸跡
本丸まで人吉市城跡を散策するといい有酸素運動になります。
石垣の内側
修理中の石垣内側です。石垣の石は奥行が90センチ程のものがあり、その内側に裏込石(うらごめいし)が見えます。
人吉市城跡内の温泉